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help RSS 「夏の厄災」の保健婦さんのような

<<   作成日時 : 2005/01/25 20:21   >>

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あのひとだ、きっと!とわかりましたね。
保健所の一番奥、若い女性職員のまんなかで、腰に手をあてて大きな声で、どうやら老人介護をしている家族のフォローらしき電話をしている、現代版おっかさん風な女性。

なんとか現状を動かさなくは、とayaの相談場所を探しております。市役所では手におえないということで紹介された保健所です。あきらめオーラを発散させる○病院の院長先生、かわいそうを連発するおばあちゃん、甘えてばかりいるわけにいかない、おじいちゃん。確かに楽しいことをしてくれる○大学相談センター、よほど勉強になる対象であるらしく、学生が増える増える(苦笑)。いいんですが、なんか違うでしょう。なんとかせねば。。。

ayaの地域を担当しているという保健婦さん。経験をつんだ女性らしく、言葉の選び方が的を得ていらっしゃる。「つまり、現状では成長ができない、ということが見えてこられたんですね」
そう!そうなのです。センチメンタルなだけではいられない。
病歴を話すと、3つの病気が交差していることもすとんと理解してくださる。それがわかると、同時に受け入れ先の難しさも歴然としているらしい。国の政策も知的障害と精神障害をいっしょくたにしてしまうおそまつっぷりだという。やっぱりね。
「つまりこうじゃないでしょうか。どこかを探すよりも今までの場所をいかに連携させるか」
妄想を抑える=現実を認識させる。本人が病院に行かないなら、データを蓄積しているであろう大学から情報をもらう。それによって医師が薬を出しやすくなる。一番荒れ狂っていた2002年頃に入院しているなどがあれば、親はとても見ていられないような治療をするけれど、それで病気を本人が認めることにもなったかもしれない。

これは、容易に人に頼れない、わたし自身のひとつの落ち度でもあったのかもしれない。
だけど、人生ってヤツはそういう時にはそういう時の味わいっていうのがちゃんとあるのですけど。
ね。幸せでもどん底でも、平穏でも波乱でも、どんなときでも、やっぱりかけがえないです。

あの思春期入院棟にすすめられ、見学して、それでも入院させられるだろうか?・オて非人間的な施設だったわけじゃなかったけれど、、 あのきれいな顔立ちの女の子は今どうしてるんだろう?

身体感覚の鈍さ=自分と他との境界線のなさ。それが他人に踏み込んでこられる感覚になり、それがayaを消耗させる。自立とは、自と他の境界を上手に築くことではないか。
統合失調症であれ自閉であれアスペであれ、病気の部分と、そうでない部分がある。これはつまり全面的に甘えや無力さだけではない、社会と折り合いをつけてゆける道があるはず、ということ。

春日武彦氏が、おそらくこういう場で訪問の治療をしていたのだと思う。精神科医の訪問治療。。それは、そこまでは放置してるわけじゃない。篠田節子の小説のたくましい女性保健婦さんのモデルじゃないかと思うような、彼女と出会えて、今日はいい日だ。

負けちゃおれぬとふと思う  (笑)

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